古くから日本で散骨が行われていたことを示すものに、万葉集の中に和歌があります。「万葉集」の和歌には、散骨した際の心情が美しく詠まれています。
「玉梓能 妹者珠氈 足氷木乃 清山邊 蒔散」
(玉梓の妹は玉かもあしひきの清き山辺に撒けば散りぬる)
「玉梓之 妹者花可毛 足日木乃 此山影尓 麻氣者失留」
(玉梓の妹は花かもあしひきのこの山蔭に撒けば失せぬる)
この読人不知歌は、妻の遺骨を散骨した際の心情が詠まれています。「愛しい妻は玉(宝石)になったのだろうか、花になったのだろうか、清い山・山陰に撒いたら消え散っていく」と歌われており、妻の遺骨(遺灰)が美しい宝石や花に例えられ、山の自然の一部となっていくことへの寂しさが表現されています。亡き妻への深い愛が感じられる詩です。これ以外にも、『万葉集』には、人の死を悲しむ挽歌の中に、散骨を詠んだものがあります。
「秋津野の人のかくれば朝撒きし 君が思ほえて嘆きは止まず」(巻7・1405)
(秋津野(あきづの)と人が口にすると、朝、骨を撒いたあなたのことが思い出されて、嘆きが止まらない)
「玉梓の妹は玉かも あしひきの 清き山辺に撒けば散りぬる」(巻7・1415)
(玉梓(たまづさ)の妻は玉(たま)なのか、(あしひきの)清い山辺に骨を撒いたら散らばってしまった)
「玉梓の妹は花かも あしひきの この山陰に撒けば失せぬる」(巻7・1416)
(玉梓の妻は花なのか、(あしひきの)この山陰(やまかげ)に骨を撒いたら見えなくなってしまった)
これらの歌では、骨を花や玉と表現しています。命のはかなさ、残された者の悲しさ、いつの時代も変わらぬ愛情などを感じることができます。散骨が忘れられない故人への心からのセレモニーであったことがわかります。この時代には、もっぱら野山への散骨が行われていたこともわかります。海への散骨は記録に残っていません。 |