神道では神羅万象に神が宿るとされており、あらゆる事象に神が存在します。八百万の神々という言葉もあるように、自然の物には全て神が宿っていると考えられています。山などの自然も信仰の対象ですし、災いを神格化することもあります。権力を持っていた人物や恨みを残して亡くなった人を神として崇め、祟りを受けないようにした事例も多いようです。神道での死生観もそれに通じるものがあり、人は亡くなると子どもや孫など家庭を守る神のような存在になります。祖先を神格化し、祖霊を祀るのが神道の考え方ですが、輪廻転生に基づく仏教の死生観とは大きく異なります。
神道では葬式の代わりに、神葬祭が行われます。死は「穢れ」とされているため、「穢れ」を「祓い、浄める」ということが神葬祭の目的です。神葬祭には、氏神である祖霊に故人の「帰幽(亡くなったこと)」を知らせ、故人を先祖のもとへ送り、遺された家族を守ってくださいと祈る意味があります。神道では魂が非常に重要で、肉体はただの入れ物と考えられています。そのため肉体が滅んだ「死」は、決して悲しいものではありません。肉体の死は災いや穢れと考えられるので、葬儀は神の力で穢れを払う儀式になります。神道での葬儀は、故人の魂をその家の守護神にするための儀式でもあります。
そして、神道では人の死そのものが穢れと考えられているので、神様がいる場所である神社で葬儀を行うことはありません。家の中に神棚がある場合には、そこにいる神様に穢れが触れないように神封じを行います。古事記・日本書記にも、死を非常に忌み嫌い、死を恐怖し、神々の時代には死を被れるものと考えていたことが記載されています。
神道の葬儀は、仏式と異なる点がいくつかあります。神道の葬儀では、玉串台を設置して祭壇と棺を安置します。玉串は神様が宿るとされる榊の枝に紙垂を結んだものです。それを神様に捧げます。拍手をする場合には、忍手という方法で音を立てずに行います。焼香はありません。数珠も使いません。「供養」や「冥福」といった言葉も使用しません。お悔やみを伝える時には、「この度は御愁傷様でした。謹んでお悔やみ申し上げます」または「この度は思いがけない事でとても残念です。どうかお力落としなさいませんように」と言います。
神道の死生観では、人は亡くなると家庭を守る守護神となります。肉体は元々魂の入れ物なので、肉体が滅んでも悲しいわけではありません。ただし、神道では人の死を穢れや災いと考え、それを祓う儀式が葬儀になります。神道は日本に昔からある宗教で、その始まりは縄文時代とも言われています。仏教が日本に伝来して広く普及した後も、神道が日本人の歴史や文化に深く根付いているのは間違いありません。
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